草盆栽の育てかた

1)置き場所

長時間西日のあたる場所は避けてください(特に夏は注意)。

午前中の光がよくあたる場所、また木漏れ日があたる程度の場所が最適です。

ベランダの場合は、ほかの植物にかくれるように置くとよいです。

2)水やり

夏は1日2回、朝夕たっぷり水をやってください。

春と秋は1日1回くらい、冬は2~3日に1回で大丈夫。

小さな鉢に入れたものは乾きやすいので注意!

3)肥料

春(3〜6月)と秋(9〜11月)に油かすなどの固形肥料を置き肥します。

★鉢に底穴があいていないものは、雨のあたる場所に置かないように。根腐れしてしまいます。屋外の雨のあたらない場所に置いてください。水をやりすぎないように、霧吹きでやるとよいでしょう。水をやりすぎてしまった場合は、器をかたむけて余分な水を流してください。

★お部屋の中でももちろん楽しめますが、ずっと室内では元気がなくなってしまうので、1〜2日室内に置いたら次の日は外に出して光と風にあててください。

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Puddle in New York (by DIDS’)

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Puddle in New York (by DIDS’)

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桃辛夷馬酔木山茱萸壇香梅

3月も中旬を過ぎると、樹々の芽が動くのがわかる。

この時期の植栽工事では、日々変わる植物たちの様子を観察できるのも楽しみのひとつだ。

毎年毎年同じ時期に芽をふくらませ、葉を出し、花を咲かせ、紅葉し、葉を落として休眠する木たち。淡々となのか、ものすごいアグレッシブになのか、よくわからないけど、とにかく生きてる。その姿を見ると、生き物であるということのずぶとさというか、頑固さみたいなものを感じる。

いま工事しているのは工場の庭。広い敷地に、ちょっとした灌木や草花を細々と植えている。ときおり工場で働くひとたちが喫煙所に集まって、世間話をしているのが聞こえる。「おまえんち何グループ?」「なんかねー、よくわかんないんだよねー。まあ、停電になりゃわかるんだろうけど。ははは」「あの放送全然何言ってるかわかんないよなー」「ほんとほんと」

喫煙所からひとがいなくなると、とてもしずかになる。よく晴れて、穴を掘ってると汗ばむほどの陽気だ。穴を掘る。木を植える。水を撒く。土を踏む。

「よく働きますね」と突然声をかけられた。工場のお掃除のおじさんだ。たぶん、定年後に清掃の仕事をしているのだと思う。こういうときによく話しかけてくる、気さくな職人タイプのおじさんとは違う、ものしずかなかんじのひと。

「ずっと見てたけど、黙々と働いてますね。いまはそういうふうに仕事することが少ないから。がんばってください」とだけ言って、おじさんは仕事に戻った。わたしはただ「ありがとうございます」と言った。ちょっとたってから、なんだかとてもうれしくなった。

女で肉体労働をしていると、声をかけられることはよくある。「がんばってるね」「意外と力持ちだね」「スコップの使い方うまいね」・・・みんなたぶん、言わないだけで「女にしては」っていうのがくっついてる言葉なのだ。もちろんそれでも言葉をかけてもらえるのはうれしいのだけど、ちょっと屈折した気持ちもどこかで感じていた。

さっきのおじさんの言葉はちがった。同じ「仕事をする者」として、仲間として声をかけてもらえた気がした。

こんなふうに、日常的に自分のしていることをだれかに認めてもらえて、それをうれしいと感じることができる、っていうことが、ただただうれしかった。

これは世界の終わりではない。

ヤルダンヤルダン

敦煌から東に150kmくらい行った砂漠の中に、東千仏洞というところがある。

図像学を研究する教授の調査旅行に便乗して、普段は非公開なその石窟を見学させてもらうことになった。

砂漠のど真ん中にあるので、道もない砂の上をジープで進む。見える景色といえば、砂と空。乾いた色の灌木類。

突然景色が変わる。ボコボコした岩の固まりが無数に出現する。岩でできた要塞みたいなものもぽつぽつある。

これはヤルダンというものだ、と教授がおしえてくれた。ヤルダン。風の浸食によってできた地形。自然にできたものなのか、人工物なのか、どっちにも見える異様な姿をしている。

大昔、牢獄としてつかわれていたという細長い岩もあった。塔のような形をしていて、中は空洞になっているらしい。上のほうに窓のような穴が開いている。その穴以外には入口も出口もない。牢獄といっても、結局は外に出られることはなかったのだろう。たまには穴から食べ物を投げてもらったりもしたのだろうか。脱出を試みて壁をのぼっては地面にたたきつけられたりしていたのではないか。

東千仏洞に着いて、壁画を見学し、また何時間もかけて砂漠を引き返した。帰りはすっかり暗くなっていた。何も見えない。車のライト以外、光はひとつもない。

突然目の前に、切り立った崖が現れた。そんなはずはない。来たときにそんな景色は見なかった。そして、崖はずっと同じ距離を保って目の前に存在しつづけている。

幻覚だ。幻覚というやつだ。そう思って、崖のことについては何も言わず、同乗者とふつうの会話をつづけた。

ホテルに着いて一息つくと、同乗者が言った。「実は帰り道、ずっと目の前に崖が見えていたんです。幻覚なんてはじめて。」

そういえば、帰り道、あの牢獄を見なかった。

犬のラーメン屋

昔住んでいた町に、犬のラーメン屋があった。

といっても、犬が店主というわけではない。もちろん、犬でスープをとっているとかでもない(たぶん)。

そのラーメン屋の前を通ると、犬のにおいがした。それで彼とわたしは、その店を「犬のラーメン屋」と呼んでいたのだった。

犬のラーメン屋のラーメンは、たいしておいしくなかった。それなのに店内には有名人のサインがいっぱいあって、そのほとんどは名前が読みとれなかった。

唯一読みとれた名前は、「キーター・セリロム」というものだった。誰なのか。わたしたちは「キーター・セリロム」についていろいろ考えてみた。外国人なのか。職業はなにか。なぜこの町に来たのか。犬のラーメンはおいしかったのか。店主はこの人を知っていてサインを頼んだのか。勝手に自分でサインを書いたのか。この相撲取り的な手形入りサインの横にならべられることについてどう思っていたのか。そもそもなぜカタカナでサインしたのか。ほんとうに本人が書いたのか。いや、そういう名前の日本人なのか。わっ、何県出身?

あと、犬はすきだったのだろうか。

退屈の街

ウィーンに住んでいたことがある。

ドイツ語学校に通うというのはたてまえで、小さい頃から憧れていた街で暮らしてみたかったのだった。

学校は事前に申し込むことができなかったので、なんの準備もせずいきなり現地に行った。泊まるところさえ決めていなかった。

大荷物をかかえて学校へ行き、手続きをすませ、「ところで今日泊まるところもないのですが」と言うと、事務の女性は困ったように薄笑いをうかべて「じゃあ、とりあえず今日だけここに行ってください」と住所を書いたメモをくれた。

そこは旧市街の、歴史的建造物みたいなマンションだった。エレベータの扉は手動。建物の1フロアを所有し、そこで暮らしている女の人が、部屋を貸してくれるのだという。間借り、というやつか。

この部屋を使え、と言われて案内されたのは、ベッドと机があるだけのがらんとした部屋で、となりにバスルームがついていた。バスルームとか言っても、床は木で窓もいっぱいあって、住めるぐらいの広さ。バスタブは猫足だった。ほんとに。

大家さんの女性(名前はハイディ)は芸術家で、玄関にも廊下にも大きなカンバスがたくさん立てかけられていた。カラフルな抽象画。絵を描きながら、舞台女優もしているということだった。

ハイディはいい人で、結局わたしがウィーンにいる間ずっと部屋を貸してくれた。たまに食事をつくってくれたこともある。得意料理は白菜のサラダ(ヨーグルトソース)。正直味は微妙だった。

一度一緒に動物園に行ったことがある。ハイディと、その友達とみんなで。なんだかお城みたいな檻の中にいる動物たちを、みんなでぼーっと眺めた。その後カフェでコーヒーを飲んだ。全員無言で煙草を吸っていた。ああ、この街のひとはみんな退屈がすきなんだと思った。

にゃりです。うそ日記を書いてみます。

にゃりです。うそ日記を書いてみます。