3月も中旬を過ぎると、樹々の芽が動くのがわかる。
この時期の植栽工事では、日々変わる植物たちの様子を観察できるのも楽しみのひとつだ。
毎年毎年同じ時期に芽をふくらませ、葉を出し、花を咲かせ、紅葉し、葉を落として休眠する木たち。淡々となのか、ものすごいアグレッシブになのか、よくわからないけど、とにかく生きてる。その姿を見ると、生き物であるということのずぶとさというか、頑固さみたいなものを感じる。
いま工事しているのは工場の庭。広い敷地に、ちょっとした灌木や草花を細々と植えている。ときおり工場で働くひとたちが喫煙所に集まって、世間話をしているのが聞こえる。「おまえんち何グループ?」「なんかねー、よくわかんないんだよねー。まあ、停電になりゃわかるんだろうけど。ははは」「あの放送全然何言ってるかわかんないよなー」「ほんとほんと」
喫煙所からひとがいなくなると、とてもしずかになる。よく晴れて、穴を掘ってると汗ばむほどの陽気だ。穴を掘る。木を植える。水を撒く。土を踏む。
「よく働きますね」と突然声をかけられた。工場のお掃除のおじさんだ。たぶん、定年後に清掃の仕事をしているのだと思う。こういうときによく話しかけてくる、気さくな職人タイプのおじさんとは違う、ものしずかなかんじのひと。
「ずっと見てたけど、黙々と働いてますね。いまはそういうふうに仕事することが少ないから。がんばってください」とだけ言って、おじさんは仕事に戻った。わたしはただ「ありがとうございます」と言った。ちょっとたってから、なんだかとてもうれしくなった。
女で肉体労働をしていると、声をかけられることはよくある。「がんばってるね」「意外と力持ちだね」「スコップの使い方うまいね」・・・みんなたぶん、言わないだけで「女にしては」っていうのがくっついてる言葉なのだ。もちろんそれでも言葉をかけてもらえるのはうれしいのだけど、ちょっと屈折した気持ちもどこかで感じていた。
さっきのおじさんの言葉はちがった。同じ「仕事をする者」として、仲間として声をかけてもらえた気がした。
こんなふうに、日常的に自分のしていることをだれかに認めてもらえて、それをうれしいと感じることができる、っていうことが、ただただうれしかった。
これは世界の終わりではない。